家は住む人のためのもの、
作る側の都合で
造るものではない
売る側の押しつけではなく、
住み手と作り手が主張しあい共同で作る。
そんな家づくりが理想です。
それは、長く接客業を経験してきた私が考える
「建築業はサービス業である」につながります。
私たちの想い
私が、この仕事に出会えたのは、運命だったのでしょうか?
一介のサラリーマンが目指した理想の建築業の姿とは・・・
何もなかった自分
この仕事に出会う前の私は、高校を出て就職し社会人として、7年目を迎えた建築とは無関係の医療系の会社に勤めるサラリーマンでした。
結婚2年目で子供も生まれたばかりで、傍から見れば、「幸せそうな家庭」に映ったと思いますが、私の心は不安だらけでした。
「自分にしか出来ない仕事がしたい!」
小さなころから職人の父を見て育った私は、今の自分の仕事に物足りなさを感じ、悶々としていました。
ついに見つけた!
そんなある日、テレビで「住宅リフォーム」の番組がやっていました。
出演している匠たちの言葉が私の仕事の理想に聞こえ、食い入るように見ていました。
そして番組が終わったころ、「建築の現場監督は技術職で、やりがいがありそうだな」「資格取得すれば新卒以外の転職組でも雇ってくれるかも?」私の心は決まりました。
今思えば、単純極まりないですが、当時の私は探していた「何か」を見つけた気分で有頂天でした。
すぐに資格取得の為に勉強を開始!選んだ資格は「インテリアコーディネーター」。
選んだ理由は、「それしか出来そうになかったから」でした。
ですが、曲がりなりにも、専門職の認定資格。そう簡単に受かるはずがありません。
やはり現場経験がないと無理だと考えた私は、「現場監督は無理でも営業には自信があるから、現場をやらせてくれる会社に営業で入ればいいのでは?」と考えます。
そして決断即実行です。
幸い妻には「将来は実家の傍で暮らしたい」という夢があったので、「実家のある愛知県に引っ越すなら」の条件で転職の了承を取り付け、自分の両親には事後報告。
こうして私の建築人生がスタートするのです。
「あれ?何かおかしくないか?」
当時はリフォームブームで、就職先はすぐに見つかり、希望の「現場管理と営業をひとりで行う」リフォーム会社でした。住まいも賃貸の団地で妻には「必ず、出世するからしばらくは、我慢してくれ」とお願いし、それこそ人の三倍働き、勉強し、経験を深めていくのですが・・・
数年が過ぎる頃、私は店長を任されていました。
ですが、このころから、店や会社にクレームが入るようになります。内容は様々ですが、どれも「売り手本位の営業」や「経験・知識不足による欠陥工事」「儲け至上主義による高額契約 」によるものが大半でした。
当時、私も他の社員同様、「売上を上げて多くの利益をだして、たくさん給料をもらう事」が目標になっていましたから、クレームの頻発は当然の結果でした。
ですが、会社は「少々の事は気にしなくていいから、とにかく利益を上げろ!」と、大号令を掛けます。長く営業や販売の最前線で仕事をしてきた私は、ある程度クレーム処理には慣れていましたから、クレームなんて怖く無いし、「経営者はそう言う無責任な人種だ」と、自分に言い聞かせて、気にも止めずに仕事をしていました。
そんな私に事件が起きます・・・
私はあるお客様のところでリフォーム工事をしていました。そのお宅は社長と一緒に営業をして受注したお客様でしたので、社長もたびたび現場に来ていました。
そのお宅は築年数も古くかなり老朽化していましたが、私はいつも通り工事を行い完了した後の事です。請求書を出したその時にお客様が言いました。
「あんた、ほんとにこれでお金をもらうつもり?」
私は思わず「えっ?」と声を詰まらせました。
お話を聞くと、このお客様は以前「建材商社」を営まれていたいわゆる「同業」の方で、今回の工事をプロの目で見ていらっしゃったのです。
「使用木材・施工方法・仕上がり、どれをとっても最低だ!」とおっしゃいました。
私は衝撃を受けました。自分のやっていた事は「悪徳リフォーム業」だったのです。
では、どうして工事を途中キャンセルせずに最後まで見守っていらっしゃったのか?と聞くと、
「最低な工事の中で、あなたが一生懸命がんばっていたからね。で、なければとっくに途中で工事をキャンセルしているよ。」
私はその場で泣きました。
お客様に申し訳ないのと自分の情けなさに・・
でも、今から工事のやり直しを会社に進言する勇気も権限も私には無く、せめてもの罪滅ぼしに値引を申し出ると、そのお客様はこうおっしゃいました。
「お金は全額お支払いします。但しこれはあなたの将来に払うお金です。二度とこんな工事はしないでね」
もう涙が止まりませんでした。
このときに私の中で何かがはじけたのです。
「この仕事はただの物売りとは違うんだ!」
「お客様は私を信頼して高額な契約をされている!」
「プロとしてお客様の信用に答える工事でなければ、何度でもやり直そう!」
心に誓った瞬間でした。
それから日々建築の勉強を繰り返し、「プロならこうしなくては!」「自分の家ならこうするはず!」そう考えながら工事をこなしていきました。
ですが、そんな私の気持ちとは裏腹に、他の社員たちが行う工事のクレームが毎日押し寄せてきます。部下たちに「そうじゃない!もっと相手の気持ちに立て!利益が全てじゃないんだ!」
何度も声を上げますが、社長や先輩には届きません。
何よりつらいのは、間違った工事が行われているのを見ても、先輩の「担当者は俺だ!」の一言で、直してあげる事が出来ずそのまま引き渡される事でした。
もう我慢の限界でした。
「ここにいればお客様は救えない!」
「これは俺のやりたい建築業じゃない!」
「もっとお客様が喜ぶ仕事であるべきだ!」
私は、会社を飛び出すのです。
「無いなら作ろう。自分の人生すべてを生かせる建築会社を」
それがプラザでした。
開店休業。心が折れそうになるのを必死に我慢する日々
独立する時、周りの反対に不安もありましたが元々楽天家の私は「何とかなるでしょう」と呑気に考えていました。そして僅かな貯金を元手にリフォーム会社をスタートしたのです。
大方の予想どうり独立してからは苦労の連続で、もちろん仕事なんてどこからも来ませんから、毎日チラシを作って営業回りの日々です。
ですが、地元でもない土地でツテもコネも無く、個人経営のリフォーム会社を受け入れてくれる人はほとんどいません。
収入が途絶えた時は、アルバイトで職人の手伝いをしたり、時には建築とは無関係の「ごみ掃除」までやりました。本当にやりたかった「お客様が喜んでくれる仕事」をする機会は数えるほどしかありませんでした。
ですが、その一回一回のチャンスに全力でぶつかりました。
ミスをしてお叱りを受けることもありましたが、徐々に人づてに評判が広がり、OBの方からご紹介を受けたり、何度もお仕事を頂いたりで、気が付くと10年が過ぎていました。
目指すものは今も変わらず!
私は、「家は、住む人のためのもので、作る側の都合で造るものではない」と考えます。
それなのに、何故もっと住む側の希望が家に反映されないのでしょう。もっと個性的な家がたくさんあってもいいと感じるのです。
売る側の押しつけではなく、住み手と作り手が主張しあい共同で作る。
そんな家づくりが理想です。
それは、長く接客業を経験してきた私が考える「建築業はサービス業である」につながります。
建築物を売るのではなく、出会いから引き渡しまでのすべてを商品として提供するから、お客様は「ありがとう、あなたに頼んでよかったわ」と言っていただけるのではないでしょうか。
あなたに合う家を作るために私は会社を作り、仲間を集め、資格を取りました。
次に会えるあなたを想像しながら、新しい出会いを待っています。
そして、あの日の誓いを胸に自問自答するのです。
「お客様を喜ばせているか?」「理想の建築業を目指せているか?」と。
代表取締役
副島 勝
プロフィール
S44729 B型 京都生まれ
理想の建築業を求めて31歳で独立、
平成18年株式会社プラザを設立。
建築施工管理技士